minto.通信
2017年07月22日

"生きる力"インタビュー

♯1震災が奪い、与えた”一流シェフ”が経た『生きる力』

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岡野シェフが料理の道を歩み始めた経緯。
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フィアンセとお腹の中の赤ちゃんとの別れ。
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震災という経験と向き合い続けた2年間。
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「生きると考えるのではなく、生かされていると考える」そう語る岡野シェフの想いとは・・?
生きる力インタビューは、第1回目にインタビューをさせていただいた巻誠一郎選手が設立した「YOUR ACTION KUMAMOTO」とコラボした連載になっています。
様々な著名人の方に、「生きる力」をテーマにインタビューをしています。


今回は、現在、スポーツ選手の個人メンタルフードの提案や実践、有名人の食に関するレシピ本のレシピ提案、その他にも”食の分野”で幅広く活躍されている岡野延弘シェフ。
岡野シェフは、阪神・淡路大震災により、フィアンセと、そのお腹の中のお子さんを亡くすという想像を絶する経験をされました。そんな岡野シェフが、心から熱い思いで「生きること」についてインタビューで語ってくださいました。

岡野シェフが料理の道を歩み始めた経緯

僕はもともと京都出身だったのですが、その土地柄や、風土があまり自分に合わなかったんです。人との関わり方もうまくいかなくて馴染めなかったんですね。それで大学を一週間でやめて、海外に移住しようと思ったんです。
でも、だからといって、実はその当時から料理が好きだったわけではないんです。
もっといえば、ただ単に手に職をつけるくらいにしか考えていませんでした。
だけど、向こうに行って、やるんだったらとことんやろうと思って、星付きというトップクラスの所に身を置き、ゼロからしっかり勉強しました。
当時一緒に働いていた人たちはフランス人のシェフだったのですが、とにかく非常に個性的な人が多かったのが印象的です。でも、その時に出会ったシェフたちが教えてくれたことが、僕を大きく変えてくれました。


一流のシェフたちが教えてくれた「慈しむ」ということ

シェフたちがこぞっていつも言っていたのは、「風を感じなさい、ひとを感じなさい、ものを感じなさい。」ということ。そして、何を話すときにも、きまって「この子は」という言い方をよくしていました。これはまさにその子に対して精一杯思慮をめぐらせる、つまり「慈しむ」という気持ちの表れた言葉なんです。「今日はこんなに風が吹いているから…」「雨が降っているから、この料理はこういう出し方をしてあげたほうがいいよね」って。
しかし、当時まだ若かった僕は、何が言いたいのかさっぱり理解できませんでした。
海外での勉強を終えて、日本に帰ってきてもその意味がわからなかったんです。まして、どんな料理がしたいとか、どうなっていきたいとか夢を持つことさえもしていなかった。
ただ、生きていくために手に職をつけて、早くシェフになろう。くらいにしか考えていませんでした。


阪神・淡路大震災の発生・フィアンセとお腹の中の赤ちゃんとの別れ

震災が発生した当時、ちょうど僕は26歳になる年でした。僕はこの震災でフィアンセと、フィアンセのお腹の中にいた子供もなくしました。彼女と僕はもともと離れたところで暮らしていました。その年の6月に結婚するはずだった彼女が会いに来てくれて、そこで妊娠していることを教えてくれたんです。二人で喜んで、そのまま帰らずに僕の住んでいるところに残ったんです。そこであの大震災が発生しました。
当時は今みたいに携帯がない時代だったから、連絡がちゃんととれませんでした。
僕はてっきり彼女が生きているものだと思っていたので、特に連絡をしていなかったんです。
ですから彼女と、お腹の中のこどもの死を知ったのは半月後くらいでした。
はじめはただ漠然と、空白しかなかったですね。でもそれが徐々に大きくなり、いっぱいいっぱいになって。やはり2年くらいは気持ちの整理をつけることができませんでした。


震災発生後の変化・生かされている自分自身

それまでは、ただ生きていることとか、一般的にイメージするような「しあわせ」ということがわからずにいました。例えば“家族をつくる”などですね。
特に意識したりせず、流れに身を任せているっていうのが結構多かった。
だからそのとき、婚約していた彼女とそのお腹の中のこども、つまり家族を守っていくこと、それを糧にしていこう、それくらいで考えていました。

でも、被災したとき、人を助けているとき、一番言われたのは救助を求める声ではなく、僕への応援の言葉だったんです。「あんた頑張りや。」って。亡くなっていかれる方が、その寸前にそうやって僕に言うんです。普通なら「助けて」という言葉がでてくるはずなのに。

僕がそのときに気づいたことは、とにかく「生きると考えるのではなく、生かされていると考える」ということ。とにかく背中をぐっと押されている感じがするんです。それまではただなんとなく生きていたのが、生かされているということを強く感じるようになりました。

被災してからは、ただがむしゃらに、全く違うことを考えて毎日を過ごしました。
今生きること、仕事のこと、今なにをすべきなのか、そういったことを何一つ考えられない日々でした。そういったことを忘れるために、毎日へとへとになるまで働きました。
「シェフをしないか?」という声がかかって上京した際も、その生活は変わりませんでした。

しばらくは、お正月がくると眠れませんでしたね。またあの恐ろしい地震が起きるんじゃないかという恐怖心が勝手に湧いてきてしまうんです。もちろん夢にも出てくる。そのときのフラッシュバックも起こって、吐き気がして。自分ではもうどうしようもできませんでした。


最後に

いかがでしたか。次回のインタビューでは、身の切られるような辛い経験をしたあと、岡野シェフの気持ちがどのように変化していったのか、そのきっかけやその後の岡野シェフの考えについて教えていただきます。
お楽しみに。

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