minto.通信
2017年07月29日

"生きる力"インタビュー

♯2震災が奪い、与えた”一流シェフ”が経た『生きる力』

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震災が生んだ600万円の借金。
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震災の経験で培った「弱さ」を認めることの大切さ。
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岡野シェフ流視点「自分ではなく相手ならどうする?」
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岡野シェフの料理の根幹を築いたある男性の存在。
生きる力インタビューは、第1回目にインタビューをさせていただいた巻誠一郎選手が設立した「YOUR ACTION KUMAMOTO」とコラボした連載になっています。
様々な著名人の方に、「生きる力」をテーマにインタビューをしています。

第2回目のインタビューは、現在、スポーツ選手の個人メンタルフードの提案や実践、有名人の食に関するレシピ本のレシピ提案、その他にも”食の分野”で幅広く活躍されている岡野延弘シェフ。
前回のインタビューでは、岡野シェフが料理の道へと進んだ経緯、そして阪神淡路大震災の経験を伺いました。(前回のインタビュー記事⇒こちらをクリック)今回はそのような辛く悲しい出来事を経験し、毎日をただただやり過ごすように生きていたご自身が変わることになったきっかけ、いかにして受け止めていったのか、そして今のご自身の考えについて伺っていきます。

震災が生んだ600万円という借金。「なんとかなるよ」の言葉。

僕には震災の影響でできた借金がありました。
結婚式の準備をすすめていた当時、式場のキャンセル料、そして壊れた家の修理代、車のローンなど、合わせて600万円くらい借金をしましたね。今だからこそ地震保険などが普及していますが、当時はそんなものはなかった。尚且つ僕の家は「半壊」という認定だったから、給付金がもらえたとしても14万円くらいだったんです。だからシェフになるために上京した日々は、その借金を返すことからはじまりました。とにかく毎日毎日借金のことを言われるんですよ。27歳の当時、2日に一度は本当に首を吊ろうと思っていましたね。

人に対して「お金を貸してください」って頭を下げたことも何度もありました。でも、僕がどんなに懇願しても、「お金は貸せないよ」って。僕からしたら「こんな状況なのに、なんで!?」って思うんですけど、そのときに「なんとかなるよ」ってみんな言うんです。その人たちがとにかく不思議と「お前はなんとかなるから」「お前だったらだいじょうぶだよ」って言ってくれる。そしたら不思議と、なんとなく大丈夫なように物事が動いていったんです。
誰かがほんのすこし手をさしのべてくれて、それがちょうどよく重なっていく感じですね。たとえば本当に窮地においやられているときに返済をちょっと待ってあげますよ、とか、ちょっとくらい出してあげても良いよ、とか。そうやってほんの少しずつ状況が動いて、そして気がついたら払い終わっていたんです。
「なんとかなるよ」の言葉には不思議なパワーを感じます。

震災という経験で培った、「弱さを認めるちから」

僕は、誰かのちょっとした優しさ、手助けで借金が返済できたときに、”弱さを認めることの大切さ”に気づきました。自分の弱さを震災後は言えるようになりましたね。「僕はなにもありません、こんな僕でもいいですか」って。僕がお店をだすとき、そのためのスポンサーがついてくれたのですが、そのときも「お金がないんです」ってはっきり言いました。そしたら名乗り出てくれる人がちゃんといたんです。俺がやるわって。
弱いって素晴らしいことだと思えるようになりましたね。弱いから優しくなれると思う。たとえば、病気した人ほど、逆境に立った人ほど優しい人が多い、そう思っています。いっぱい苦労や辛い思いをしたり、他にもヤンキーだったり、学生時代に悪さをしていた人ほど、おとなになったら優しい人になっている気がします。

震災後に変化した、考えるときの視点「自分ではなく相手ならどうするか」

「生かされている」という気づきが、あのシェフたちの「慈しみ」の理解にもつながったように思います。
震災を経てから、僕は仕事をしている時、”自分が”っていうことはまず考えない。まず最初に考えることは、「自分がやられて嫌なことはしない。自分がやられてうれしいことをしよう。」ということなんです。その次に「相手が今どんなことを考えているのかな」ということを考えるようになりましたね。寄り添っていく、という気持ちに近いのですが、そこにいる人たちがどんな顔してる?楽しそうにしている?嫌な顔していない?って相手の気持ちを推し量り続ける。常に「その人がもし自分だったら?」って考えていく。
そうやって考え続けて、うれしいだろうと思うことをしたら、自ずと人は喜んでくれるんじゃないかって。
人間に対してだけではありません。料理って心理学、生理学、気象学っていうのが本当にからんでくるんです。そういうことのひとつひとつを必死に考えていく。届いた食材をみて、「この子たちをなんとかしてあげたい、なんとかおいしく食べて喜んでもらいたい」、そのためにはどうしたらいいかって。言葉でしゃべるわけではないから一個一個対話が始まっていく。そうすると一個一個のものが全部見えてくるように感じるのです。

岡野シェフの料理の根幹を築いたある男性の存在。

僕は震災がなければ今の僕は存在していないと思っているのですが、それと同じように、今の僕をつくりあげていくうえで欠かせない男性の存在があります。

もともと自分は濃い味が好きだったし、フレンチをやっているとやっぱり体を壊したりすることもある。今は成人病になりながら料理を作っている人もたくさんいて。それはちょっとおかしいなって思って、それを意識した料理を提案しているなかで、ある男性とお会いしたんです。

彼は肝炎から肝臓癌になる寸前に、僕にその病気のことを明かしました。そしてそこで「僕が生きていくための食事を作ってくれないか?」と言われたんです。「最後までおいしいものを食べたいから作ってほしい」と。もし知らない人にそんなお願いをされたら、多分すぐには「はい」って言えなかったと思います。
でも彼はとにかくみんなから愛されている人だから、その人をいかに長く生きさせることができるかと考えたんです。微力かもしれないけれど、僕がいることで彼が長く生きて、他の人たちに与える影響力が強いんだったらそれにはやっぱり全力を尽くすでしょう。
彼は僕に、奮起するエネルギーをくれた人。僕は正直叩かれることが多いんです。この世界の人からしたら、フレンチじゃないとか。カテゴリから外れているから違うとか。だからもうやめようかなって思うこともあった。すごく辛くて嫌だったんだけど、彼はそれを知ってるのか知らないのかわからないんだけど、すごく僕を見てくれていました。毎週食事に来て、何をいうわけでもなく、お客さんをいっぱい連れてきてくれて「こいつの料理おいしくてな」って。最後にお見送りすると、帰る前に髪をくしゃくしゃにして、ハグしてくれる。

そんなエネルギーをくれた彼に、できることをとにかくしたい、そう思うことがさらなる推進力になっていましたね。

最後に

いかがでしたか。次回、最終回となるインタビューでは、被災者として、シェフとして生きた岡野氏が、いままでの経験を経て今感じていること、今思うことをお話ししていただきます。
過去の出来事が紡ぎだした、岡野氏の”いま”を紐解きます。

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